東京高等裁判所 昭和52年(行ケ)107号 判決
原告主張の審決取消事由の有無について検討する。
1 原告の1の主張については暫く措き、まず、2の主張について考える(なお、本願発明の構成要件であり、第一引用例との相違点でもあると認められる(a)ないし(c)に対する審決の判断は、相互に関連するので、これを一括検討することとする。)。
(一) 成立に争いのない甲第三号証ないし第五号証によると、第一引用例ないし第三引用例には、それぞれ審決が認定する技術的事項の記載があることが認められる。
(二) ところで、本願発明における最も重要な点であるポリエチレンフイルムの低温下における耐性という観点から各引用例の記載をみると、前認定のとおり、第二引用例には、ポリエチレンフイルムが低温で可撓性を有し、化学的に安定であり、化学、医薬品等あらゆる部門で包装材として用いられていること、第三引用例には、ポリエチレンフイルムが強度も大きく、非常に低温でも有効な性質が失われないことがそれぞれ記載されてはいるが、これらは要するに、ポリエチレンフイルムが低温で可撓性を有するということにすぎないのであつて、いかなる温度でどの程度の可撓性を有するかという具体的記載はなく、ただ、第二引用例に低温の数値として、マイナス六〇度Cが示されているにすぎない。
そうすると、液体窒素の沸点がマイナス一九五・八度Cという極低温であり、右マイナス六〇度Cとの間には顕著な懸隔があるのであるから、第二引用例及び第三引用例に前記のような記載事項があるからといつて、他に特段の事由又は根拠が示されないで、右程度の抽象的慨括的記載から、液体窒素近傍でのポリエチレンフイルムの包装材としての利用の可能性が示唆されているとすることは困難である。
(三) この点に関連して、審決は、本願発明における固有粘度値及び二軸延伸比の選定は、用途に応じて適宜選定できることであり、本願発明におけるそれらの各数値が格別特異なものではないとする。
前掲甲第三号証によると、第一引用例には、延伸法についての説明があつて、これは、ポリエチレンを押出加工の際及びフイルムにした後に延伸を行い、オリエンテーシヨンを与える方法である、としたうえ、審決が認定したとおりの記載がされている。そして、二軸延伸が強度改善のためにプラスチツクフイルムの分野で広く行われている技術であることは、弁論の全趣旨から明らかである。
しかし、ポリエチレンフイルムの低温における耐性改善のために、これを液体窒素近傍という極低温下で使用しようとした場合において、ポリエチレンフイルムに具体的にいかなる改善方法を施せばよいかという点については、第二引用例及び第三引用例にはもとより、第一引用例にも、その方向づけを示唆する記載が全くないから、他にそれにも拘らずそれが可能であることを首肯できるような事由ないし根拠が示されないまま、右各引用例から、本願発明の(a)、(b)の構成が容易に想到できるとすることは相当でない。換言すれば、本願発明における固有粘度値及び二軸延伸の選定が何故に有効であるのか、また、何故にそれが容易に想到できるかに関しては、右各引用例には、これを示唆する記載がないから、例えば、本願発明で用いられるような固有粘度値と二軸延伸比の組合せ数値をもつポリエチレンフイルムが公知の物質として存在するなど特段の事情を認めるに足りる証拠のない本件においては、右各引用例の記載から直ちに、右(a)、(b)の構成が容易に想到しうるものとすることはできない。
(四) 被告は、乙号各証、特に乙第一号証ないし第三号証及び乙第六号証の記載をも併せ考えれば、審決の判断は正当であると主張し、右乙号各証を、本願発明の出願当時の技術水準を明らかにする趣旨で提出している。
ところで、右乙号各証記載の技術的事項は、特許庁の手続においては示されず、本訴においてはじめて提示されたものであり、とりわけ、乙第一号証ないし第三号証及び第六号証に記載された事項は、第一引用例ないし第三引用例に記載されていない新たな具体的技術を内容とするものであるうえ、それぞれに記載された技術的内容には、後述のとおり、そごするような記載があることなどを考慮すると、右乙号各証に記載された事項が、本願発明の出願当時の技術水準を示すものとして広く知られていたものとは解し難いのであり、したがつて、これらのものを本訴において新たに提出し、審決の判断ないし結論の正当性を裏づける技術的資料とすることは、先行技術の引用として適切でないばかりでなく、後述のとおり、右乙号各証に記載された技術的内容を検討しても、なお前(二)、(三)に記載の判断を左右するには足りない。
(1) 分子量について
被告は、ポリエチレンフイルムにおいて、分子量が大きいほど低温での特性が優れていることは、本願発明の出願当時の技術水準であつたとして、乙第一号証ないし第三号証及び乙第六号証を提出し、成立に争いのない、乙第一号証ないし第三号証には、分子量の増大に伴い、低温における脆化点の改良が得られる旨の記載がある。
しかし、右乙号各証に示された温度は、マイナス一四〇度Cまでであり、特に、前掲乙第一号証には、「ポリエチレンは常温において可撓性であるが、深冷すると脆くなり、屈曲あるいは衝撃によつて破断する。脆化温度は、分子量が高いほど、結晶度が低いほど低い。また、結晶の状態にも関係する脆化温度の最低値は、マイナス一四〇度C(無定形部分のガラス転移点)であろうといわれている。」(四七頁)と記載され、マイナス一四〇度Cがその最低限度の温度であることが明記されている。
もつとも、成立に争いのない乙第六号証によると、その三〇四頁の第一表フイリツプス法の欄には、脆化温度として、マイナス一八六度C以下のものが示されている。しかし、乙第六号証の三〇六頁第一図によると、フイリツプス法における結晶化度は、チーグラー法におけるそれよりも高く、また、同頁第三表によると、フイリツプス法における分子量は一〇〇〇〇~一四〇〇〇であり、チーグラー法におけるそれの五〇〇〇〇~一二〇〇〇〇よりもかなり低いが、それにも拘らず、同三〇四頁第一表によると、フイリツプス法における脆化温度は、マイナス一八六度C以下となつており、チーグラー法のそれのマイナス八〇度Cより低いのであり、乙第六号証のこのような記載は、乙第一号証の前記の記載(特に、「脆化温度は、分子量が高いほど、結晶度が低いほど低い。」との記載)とそごしている。更に、前掲乙第二号証には、ポリエチレンの低温可撓性について、「分子量二五〇〇〇の物質に対してはマイナス五〇度C以下であり、より高分子量の場合はマイナス一〇〇度C以下である。」との記載があり、また、前掲乙第三号証には、ポリエチレンについて、「三〇〇〇〇以上の分子量の試料は、殆んど常にマイナス七〇度Cもしくはそれ以下で可撓性であり、四〇〇〇〇以上の分子量を有する試料はマイナス一四〇度Cの低温脆化点を有する。」との記載がある。しかるに、前掲乙第六号証によれば、フイリツプス法によるものは、分子量一〇〇〇〇~一四〇〇〇でも脆化温度はマイナス一八六度C以下であり、これは乙第二号証及び第三号証の右記載とそごしている。そうしてみると、乙第六号証における前記マイナス一八六度C以下との記載の妥当性ないし正当性はにわかに肯認し難い。しかし、それはともかくとしても、右乙号各証は、いずれも、ポリエチレンフイルムの脆化温度について、液体窒素温度を示しているわけではない。他方、成立に争いのない甲第二号証の一、二によると、本願発明の明細書の第一表には、フイルム番号一三ないし一五のものでは、固有粘度が一・二以上でも非配向すなわち延伸していないと、本願発明における液体窒素を用いた脆化試験には耐えられないとの記載がある。
右に述べたところを併せ考えると、ポリエチレンフイルムについて、低温度の限界値を画することなく、いいかえれば液体窒素温度近傍をも含む温度範囲において、分子量が大きいほど低温での特性が優れていることが本願発明の出願当時の技術水準であつたとすることはできないばかりでなく、乙第一号証ないし第三号証及び第六号証を考慮しても、分子量の増大のみで、液体窒素温度近傍の温度に耐えられるポリエチレンフイルムを得られることが知られ又はこれを容易に推考できたものとはし難く、したがつて、右乙号各証は、前(二)、(三)の判断を左右するに足りない。
(2) 二軸延伸との組合わせについて
被告は、二軸延伸がポリエチレンフイルムの機械的性質を改善するから、本願発明が容易に推考できたものであるとし、乙第四号証を提出している。
しかし、成立に争いのない乙第四号証には、「延伸」の項において、その説明として、「フイルム……などを、材料の融点以下の温度で機械的に引伸ばし、引張り方向に平行に分子配向させる操作をいう。この操作により、引張り強度は著しく向上し、強靱性を増すが、フイルムなどでは、延伸方向に対し直角方向の強度はかえつて低下し、裂けやすくなる。」との記載があり、このことからすると、フイルムの二軸延伸が、機械的性質を減弱させる面をも併有していると解される。そして、同号証には、もとより、二軸延伸によつてポリエチレンフイルムの低温における耐性が改善されることが記載されている訳ではなく、また、そのようなことが一般に是認されているとも認め難い。
そうしてみると、フイルムの低温下での強度改善に当たり、分子量の増大のみでは不充分な場合において、これに一定の延伸比以上の二軸延伸を行うのがよいということは、右乙号証を考慮に容れても、当業者が容易に想到しうるところであるとは断じ難く、したがつて、右乙号証は、前(二)、(三)の判断を左右するには足りず、他に右判断を左右しうべき証拠もない。
(五) そうすると、本願発明の構成要件であり、第一引用例との相違点でもある(a)ないし(c)に対する審決の判断には誤りがあるというべきである。
2 1において検討したとおり、審決の右(a)ないし(c)に対する判断に誤りがある以上、これが、本願発明の進歩性を否定した審決の結論に影響を及ぼすものであることは明らかであるから、原告のその余の主張について判断するまでもなく、審決は、違法として取消を免れない。
〔編註〕 本願発明の要旨および審決理由の要点は左のとおりである。
本願発明の要旨
生存性及び腐敗性物質を包装しかつこれを液体窒素温度近傍で貯蔵しそして保存するためのプラスチツクフイルム包装材にして、該プラスチツクフイルムが少なくとも三〇〇%の大きさにまで縦方向と横方向に二軸延伸されたポリエチレンフイルムであり、そして該ポリエチレンフイルムが少なくとも五〇重量%のエチレン重合体を含有ししかも一三〇度Cにおけるデカリン中の固有粘度が少なくとも一・二である樹脂組成物から得られる低温度用プラスチツクフイルム包装材。
審決の理由の要点
1 本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
2 これに対し、
(一) 本願発明の出願前に、日本国内において頒布された刊行物である高分子化学刊行会編「高分子文庫三四、ポリエチレン」(高分子化学刊行会昭和三七年六月一五日発行)の七五頁(以下「第一引用例」という。)には、次の記載がある。
「縦方向に引張り、ストレスを保持している状態になし、これを熱処理する方法である。このようにオリエンテーシヨンされたフイルムは、……食品その他の包装材料として使用されている。」
(二) 右刊行物の八一、八二頁(以下「第二引用例」という。)には、次の記載がある。
「ポリエチレンフイルムが……(5)低温(-60℃)で可撓性を有する、(6)防湿性が優れていること、(7)耐酸、耐アルカリで、かつ、化学的に安定であり……化学、医薬品、肥料、セメント等の軽、重包装とあらゆる部門にわたつており、……」
(三) 本願発明の出願前に日本国内において頒布された刊行物である太田忠尚外二名著「プラスチツク材料講座一一、ポリエチレン」(日刊工業新聞社昭和三六年三月一五日発行)の六一頁より六三頁(以下「第三引用例」という。)には、ポリエチレンフイルムに関し、次の記載がある。
「フイルムは無味、無臭、無毒で、生物的に不活性であり、強度も大きく、非常に低い温度でも有効な性質は失われない。」
3 本願発明と第一引用例に記載のものとの対比について
(一) 一致点
縦方向と横方向に二軸延伸されたポリエチレンフイルム包装材であること
(二) 相違点
本願発明が、
(a) 少なくとも三〇〇%の大きさに二軸延伸したこと
(b) 一三〇度Cにおけるデカリン中の固有粘度が少なくとも一・二であること
(c) 生存性及び腐敗性物質を包装し、かつ、これを液体窒素温度近傍で貯蔵保存する包装材料であることの各構成を有するのに対し、第一引用例には、このような点まで記載されていない。
(三) 相違点についての判断
(1) (c)の点は、第二引用例に、ポリエチレンフイルムが低温で可撓性を有し、化学的に安定であり、化学、医薬品等あらゆる部門にわたる包装材である旨記載され、第三引用例に、ポリエチレンフイルムは、無臭、無毒、生物的にも不活性であり、強度も大きく、非常に低い温度でも有効な性質を失わないと記載されている点からみて、ポリエチレンフイルムは低温度、例えば液体窒素温度近傍での包装に使用してみようと試みることは当業者が容易にしうるから、第二引用例及び第三引用例に記載されたものから、当業者が容易に推考できる程度のことと認める。
(2) (a)の点は、二軸延伸ポリエチレンフイルムの延伸の大きさを適宜選定することは、当業者の容易にしうるところであり、かつ、少なくとも三〇〇%の大きさの延伸比は、格別特異なものとも解されないから、第一引用例に記載されたものから当業者が容易に推考できる程度のことと認める。
(3) (b)の点は、ポリエチレンの固有粘度を、用途に応じて適宜選定することは、当業者が容易にしうるところであり、かつ、一三〇度Cにおけるデカリン中の固有粘度が少なくとも一・二であることは格別特異なものとも解されないから、第二引用例又は第三引用例に記載されたものから、当業者が容易に推考できる程度のものと認める。
4 結論
本願発明は、第一引用例ないし第三引用例に記載されたものから容易に発明をすることができたものと認められるから、特許法第二九条第二項の規定により特許を受けることができない。